Joker は狂気の映画なのか? ~『心』に包帯は巻けない~

◇はじめに

観てきました、バットマンシリーズのスピンオフ作品であるJoker

筆者はクリストファー・ノーラン監督のバットマン3部作品は鑑賞済みです。DCコミックが好きというよりはアメコミヒーローだったらダークな世界観を持つバットマンが一番好きといったところです。

この記事では感想を中心に考察疑問自分なりの解釈を書いていきたいと思います。映画について書くのは初めてですのでお手柔らかにお願いしますね(笑)

また、ネタバレありで好き勝手書いていきたいと思いますので、ぜひ鑑賞した方に読んでもらえると嬉しいです。

未鑑賞の方はブラウザバック推奨!!!

 

※以外ネタバレあり※

 

 

◆This is not a Joke. 衝撃の人間ドラマ。

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10/4の公開日に観てきました!大大大満足の作品!

本作品を見終えたときの自分の中で沸き起こる感情は複雑なものでした。複雑というのはマイナス的な意味合いではなく、まさに混沌(カオス)ということです。それだけ揺さぶられ、乱されました。混沌や無秩序はJokerというキャラクターを表す要素であるしそう言う意味では鑑賞後の自分はJokerに乗っ取られてしまったかもしれません。上映終了後に拍手してる方も居ましたが、彼もアブないですねぇ(笑)確実に乗っ取られてることでしょう。ハーレクインが心酔する気持ちも今なら分かるわ(笑)余談だがハーレクインにフィーチャーした新作が公開される予定みたいだが、その作品ではJokerと破局してるそうです。またマーゴット・ロビーのケツだけ楽しむクソ映画*1を作るつもりなのかッ!?

特に物語の終盤で、マレー(人気トーク番組の司会者、ロバート・デニーロ)の番組に招待され、派手におめかしと覚悟を決め込んでかっちょいいRockなBGMの中で作中何度も登場する印象的な階段を踊りながら降りるシーンは『コイツ、ぜったいこれから何かやらかすぞ!かっこいいと思っちゃいけないんだろうけど、、、、かっこよすぎる.....ッ‼!』といったジレンマ的感想を抱きました。絵的にまずスローモーションが入ったりして演出が最高ですし、覚悟を決めた表情ていうんですかね。堪らないすね。

 

◇映画Jokerは決して狂気の映画ではない!

タイトルで投げかけた命題。この映画はJokerもといアーサーというキャラクターの狂気を描いた映画なのだろうか? 私から言わせてもらえば断じて違う。むしろ、アーサー孤独や苦しみを訴えることが映画の主題だと私は信じている。これは私が公開日に実際に耳にした会話なのだが、上映終了後にある男性がその友人に感想を語ってるのが耳に入ってきて、私はある一言に衝撃を受けた。以下が小耳に挟んだ会話だ。

 

男性A「いやぁ、面白かったなあ」

男性B「でもJokerって最初から狂ってたやつだったんだな!」

男性A「........」

 

もちろん、映画は観る人の数だけ感想があって当然だと思うが男性Bの感性と自分は絶対的に合わないと確信した。*2私はむしろ、アーサーが気が狂ったシーンなんてほとんどないと思っているからだ。強いて言えば最後のエピローグで、刑務所の一室のようなとこでカウンセラーを殺してしまい、職員と追いかけっこをしてるシーンくらいだろうか。つまり個人的には狂気的なアーサーが描かれているのは実は最後の最後だけ

それでも、こう思う方がいるかもしれない。「でも突然、笑い出して気味悪いじゃん、、、」、「隣人をストーカーした」、「電車内で証券マン3人殺してるし、見舞いに来てくれた元同僚とかも殺してる、、、」、「母親も殺してるんだぞ!」と。しかし、一拍置いて、これから列挙する要素を考えてみてほしい。

 

①大前提としてアーサーは精神障害(=心の病)を患っている。おそらくアーサーの心の病は失笑恐怖症(=笑ってはいけない場面で自分の意思とは無関係に突然笑いだしてしまう症状)という対人恐怖症から着想を得ていそうだ。

貧困に苦しみながら母の介護をしている

③頼みの綱であった仕事でさえ、邪見にされていた同僚になかばハメられて退職に追いやられる

④お金に困り隣人を強盗しようとしたが、結局強盗は実行しなかった(=正気を保った)

⑤証券マン3人に襲われた結果、3人を殺害。状況を考慮すればある程度の正当防衛が認められるのではないか(=狂気の末の殺人ではない)。

⑥母の真実を知り、母を殺害。(要考察)

⑦見舞いに来てくれた同僚のうち、小人症の同僚を自分に優しく接してくれたという理由で逃がした。(=正気)※退職のきっかけとなった、恨みのあるランドルは殺害

⑧司会者マレーを殺害。観覧客に危害を及ぼした描写はないし、ピストルで銃乱射は考えにくい点やパトカーで連行されている(=捕まっている)描写を考えれば、あのトーク番組で殺害したのは自分の病気(=苦しみ)を笑いものにしたマレーだけだと言えるだろう。

 

①~⑧を総合すると、アーサーが作中で行った殺人はどれも恨みや理由(=襲われて自分を守るため)があり、無実の市民を無差別に殺すということは一切ない。*3 これらの理由から、最後の最後までなんとか正気を保とうとしていたのがアーサーだったのかなって自分は感じました。トーマス・ウェインにトイレで会ったときトーク番組で感情むき出しでマレーに訴えるシーンなどもすごく印象的で、苦しみの限界に達しそうだから助けてくれというサインだったんじゃないでしょうか。

では母親とされていたペニー・フレックについてはどうだろうか?彼女を殺す理由はなんだったのか。

 

◆ペニー・フレックというキャラクターについての考察

ペニー・フレックという物語のキーマンは主人公であるアーサーにとって何者だったのでしょうか?抽象的な概念で言えば、正に『希望』だったのではないでしょうか。それも最後の希望です。生きる理由と言ってもいいかもしれません。アーサーが精神を病み、ボロボロにながらもひたすらにコメディアンを目指していたのは、ひとえに母であったペニー・フレックが言ったとされる「あなたは世界に笑顔と希望を届けるのが使命」「いつでも笑顔を絶やさず笑っていなさい」という言葉を愚直に信じ続けていたからだと思います。

しかし、物語の終盤にさしかかる起承転結の『転』にあたる部分で実はアーサーはペニー・フレックの養子で、養子を迎え入れながら当時のパートナーがアーサーに暴力を振るって虐待してもネグレクトしていた事実を知ります。また、ペニーには自己愛性人格障害があったことも発覚します。つまり、信じていた母親だったと思っていた人物こそが自分の精神障害の発端でもあったということを知ってしまうのです。『希望』が『絶望』に変わる瞬間、それは精神を擦り減り、ボロボロになったとこでぶっ壊れる寸前手前ギリギリのとこで生きていた『アーサー』を『Joker』に変貌させるには十分すぎるほど残酷な真実だったのです。真実を知ったアーサーが述べる『I used to think that my life was tragedy but now I realize... it's a comedy(かつて自分の人生は悲劇だと思っていた。でも気づいたんだ...ギャグだってことに)*4』絶望的な状況をあえてComedyと表現するこのセリフはアーサーではなく、Jokerとして目覚めたことを表す作中屈指の名台詞だと思います。

アーサーの心理をこのように解釈すればアーサーがもはや血のつながりもない他人、むしろ苦しみの根源であったペニーを殺害したのも筋は通るかと思います。

 

◇映画Jokerで一番強く感じたメッセージ

昨今、アメリカでの銃乱射事件や日本では京アニ事件や相模原障害者施設殺傷事件などの狂気じみた事件はもはや珍しくありません。先に誤解のないように宣言しますが、私は現実に起きた殺人に対して擁護する気は全くありません。罪を犯した者は法の下で裁かれるべきです。

私は本作のアーサーはこれらの凶悪事件などを犯してしまう人の一部を表現していると思っていて、世界中に、潜在的に『Joker』になれてしまうポテンシャルを持った人たちって実はたくさんいるんじゃないかと思います。考えただけでゾッとしますが、それが現実なのです。人は思ったより強くないのではないか。ほんのした拍子に、人生の歯車が狂ったりするのは往々にしてあることではないのでしょうか。

そして、そういった『追い込まれた人ら』によって事件が起きたときに、犯人を特定して、いかに裁くのかはもちろん重要です。しかし、もっと大事なのはそういった事件を起こす人(=JOKER)を生まないことなのではないでしょうか?人を殺めるのは人なのです。私はこの映画を観て一番感じたのはそこでした。本作のアーサーのような人間に手を差し伸べ、ぶっ壊れる寸前の人たちを助けることのできる環境づくりは必要だと思います。

そのためにはまず心の病について、私も含め、私たちはもっと認知していくべきなのかなと。心の病の難しいところは目に見えにくい点だと思います。松葉杖をついてる人や、車イスに乗ってる人、発熱がある人などの怪我や病気をされている場合は視覚的にその人が苦しんでいるのが明らかなケースがほとんどです。しかし、心の病は違います。特に、苦しくても頑張ろうとする人や、気を強く保って無理する人ほど心の病を隠す傾向にあるのではないか。そういった見えない内面的な苦しみに、もっと寛容でオープンで気づいていける社会になっていってほしいなと映画を通じて強く感じました。

 

◆最後に映画で気になった疑問や気になった点など

①ペニー・フレックはなぜアーサーを養子にとった?

アーサーを養子にとった深り掘りがなかった気がするので養子にとった理由がよくわからない。

 

②ペニーフレックを殺害したあとアーサーが見つけた写真の意図はなに?

アーサーはペニーを殺害したあと、アパートの一室でかつて働いてたウェイン家の屋敷の庭みたいな場所で仲睦まじい様子でトーマス・ウェインとペニーと思われる2人が写っている写真をみつける。裏には『You're smile is lovely(あなたの笑顔は愛くるしい)Thomas.W』*5のメッセージが、、、、 これってつまり、じゃんけんの読み合いでいう裏の裏みたいな感じで、実はトーマス・ウェインとペニーがデキてたってことなのか??? ここすごいモヤモヤしてるから真相というか何か知ってる人いたら教えてください!!(笑)

 

①,②やアーサーの「ぼくらそっくりじゃないか」という発言などを考えると、実はペニーとトーマス・ウェインはデキててアーサーは本当はトーマスの息子なんじゃないかと思ったり思わなかったり、、、うーん、、、

 

◇おわりに 

読んで頂きありがとうございます!つらつらと好き勝手書いてみたいのですがいかがだったでしょうか?自分もこれからみなさんの感想や考察ブログなど巡っていこうかなと思います。もしかしたら2回目も観に行こうかなって(笑)

 

 

 

*1:筆者はスーサイド・スクワッドに心底がっかりした者である

*2:2回目の視聴を終えて、そういう解釈もできることに気付いた

*3:最後のエピローグでのカウンセラー殺害は除く

*4:comedyは通常、喜劇ですが、自分ならギャグと訳しますかね。そっちのほうがJokerに堕ちた感じがありますし、なによりペニーに裏切られたのを喜劇と表現するのは違和感があります

*5:記憶が合っていればこんなメッセージだったはず