Joker2回目を鑑賞してみて 考察まとめ

◇2回目の視聴を終えて

公開日に初めて観て、先週の火曜日(10/18)に初見の友人と2回目のJokerを観に行くことができました。初見であやふやっだった点がいくつかあった自分としては確認したいことがけっこうあったので2回目も存分に楽しむことができました。また、初見のときには気づけなかった新たな発見もありました。以下ざっと箇条書き風にまとめてみます。

初見の感想は以下からどうぞ

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◆より確信的になったアーサー=トーマス・ウェインの息子説

初見で観たときも①写真というアイテムを根拠に、結局のところアーサーはペニーとトーマス・ウェインの間に生まれた子なのではないかと推測したのですが、写真ひとつでは根拠が弱いなということで、他にも裏付けになる要素はないかと観察したながら視聴した結果、いくつか根拠になりうるものに気付きました。それが以下の通りです。

 

ペニー・フレックの「用紙にサインを書かされた」というセリフ

このセリフは、アーサーがペニー・フレックの手紙を不信に思って読んでしまうシーンで初めてペニーにキレる場面でペニーが口にするセリフです。ペニーが驚いて自室に逃げ込み、外からアーサーがドアをガンガンと殴りつけているあのシーンです。手紙の内容にショックを受けたアーサーは内容が真実なのかペニーに確認するところで、ペニーはそれが真実だと伝え、屋敷を追い出されるときに「なにかの用紙にサインを書かされた」と発言しています。

これはトーマスがペニーとの間にデキてしまったアーサーの出生を誤魔化すために養子縁組の申請用紙に無理やりぺ二-に署名させたのだとしたら辻褄が合うような気がします。

 

③繰り返される性行為に関するジョークはペニーとトーマスの肉体関係の暗喩では?

作中では何度か印象的なジョークが登場します。特に筆者の印象に残っているのがアーサーが時折、足を運ぶ小さなライブハウスのような場所で繰り広げられるジョークです。2度、この場でコメディアンなる人がジョークを披露する場面があるのですが、1つ目が「とある夫婦が男性教授と単位が欲しい女学生になりきった性行為に関するジョーク」、2つ目が、「女性の性行為を車、男性の性行為を駐車場に例えたジョーク」でいずれも性行為に関するジョークなのです。

意味もなく脚本に2つのド下ネタを入れるのでしょうか?自分はこれはペニーとトーマスの性行為を想起させる暗喩なのではないかと感じました。

 

④アーサーとブルース・ウェインの決定的な対比描写に潜む類似点

自分の出生の真実を知ったアーサーはウェイン邸に訪れます。そこで屋敷の庭にいたブルース・ウェインと偶然にも遭遇するシーンがあります。彼らは庭の門を挟んで、対峙するのですが、このシーンは見事な対比描写がなされていました。門を挟んで右側には裕福で暮らしに一切支障がないであろう、お坊ちゃまのブルース・ウェイン、一方左側はみすぼらしい精神を病んだ中年おじさんのアーサー。まさに門を隔てて別世界を描写していると思われますが彼らの服装に注目してみると、配色が完全に一致するペアルックなのです。上にはブラウンっぽい服に、下はブラックのパンツを履いているのです。これは二人は別世界に生きるが、共通点があることを示しており血縁関係を匂わす描写なのではないかと思いました。

 

これら①~④の根拠をもとに自分はアーサーはトーマスの息子であるという解釈はより強まりました。映画をみたみなさんはどうでしょうか?

 

◆妄想パートと現実パート

本作の主人公アーサーは妄想癖があり、作中でもその妄想シーンと現実シーンがほぼシームレスに行き来するので初見ではかなり混乱した。しかし、2回目の視聴で自分の中でハッキリしてきたので以下にまとめてみようと思う。

 

・妄想パート

①物語序盤にアーサーがマレーのショーに観覧席から登壇するシーン

会話の時系列が同じなのにアーサーの場所が急に観覧席に移動するので妄想であるのは明白だ。筆者は初見のとき混乱しましたけど(笑)

②隣人との恋人的描写全般

物語終盤、意図してか意図せずか隣人ソフィーの部屋に入り込んだときのソフィーのリアクションが恋人のそれではない。そもそも小さい娘を大事に育てている描写があるのに娘をほったらかしにしてデートするなど不自然な点はあった。そしてフラッシュバックシーンでは恋人的描写のシーンからソフィーが消えるというぞっとする演出も妄想だという裏付けであろう。

 

・妄想の可能性があるパート

①物語全て

最後のエピローグは最初に鑑賞したときは時系列順にそのまま

アーサー覚醒→マレー殺害→市民が暴徒と化す→結局捕まったアーサー→エピローグ

だと思っていましたが、エピローグを改めてみると、

カウンセリングを受けるアーサー(エピローグ)→映画本編(妄想)→ジョーク(=妄想、映画本編)を思いついた、君には理解できない→カウンセラー殺害

という風にすべて夢オチならぬ妄想オチという解釈もできるなと改めて思いました。

 

◇隣人ソフィーの最後

物語終盤、ソフィーと部屋に上がり込んだアーサーは物々しい雰囲気を醸し出しながら、ソフィーの部屋を後にする。自分の部屋に帰ったアーサーの背景には救急車のサイレンが鳴り響く。これはソフィーを殺害した暗喩なのであろうか?

正直これは正解を見つけるのはヒントが少なすぎて困難である。よって各々の解釈次第だと思うが、個人的には殺人は犯していないでほしい。なぜならば作中の殺害された人たちは、多かれ少なかれアーサーによる報いを受けたから。ここで実は人畜無害のソフィーを殺していたとなると、脚本的な質が一段と下がる気がするのは筆者だけだろうか?

 

◆新たに増えた疑問点

2回目はじっくり見ることができて自分なりの解釈をかなりまとめられたなと満足感に浸っているわけですが、1点さらに気になる疑問が浮上しました。それは『アーサーの笑いの発作はいつから止まったのか』という点です。筆者の記憶違いでなければ、物語の終盤はほとんどというか、一切発作を起こしてないのです。これはアーサーがJokerに覚醒したタイミングと重なるのではないかと考察しているのですが、確認したわけではないのですごく気になりますね。

個人的にはペニーを窒息死させたあとはほとんど発作を起こしてないのかなと思いますが、どうでしょうか。

 

読んで頂きありがとうございましたm(__)m ちなみに3回目を観る予定は今のところございませんので発作が止まるタイミングは誰かに託したいと思います(笑)もし、分かったら教えてください。ではでは。